テルパドールの戦い 6.隠者:劣等感

 ふとルークは気付いた。
「教団が要求している譲位というのは、その指名ということか」
「指名さえ行われれば、我が国では完全に正統の女王と見なされます」
おそらく教団はそのことを知っているのだろう。指名があったと主張して王家伝来の宝冠を戴いた新女王が現れれば国民は納得してしまうだろう。
「でも、アイルが、つまりアイシス様の魂が指名していないと言えば」
メティトはためいきをついた。
「テルパドールの国民が勇者様にアイシス様の魂が宿っていると信じてくれるかどうか。第一、勇者様が口を開くことができれば、ですね」
光の教団の使者の前でアイシスの魂の依代をつとめたアイルは、あのあとぱったり倒れ、寝入ってしまった。ビアンカは、魔術的な眠りではなくひどい疲労によるものだと言っていたが、アイルに“もう一度依代をやってほしい”とはルークは思わなかった。
「できるだけ早くアイシス様を取り戻してきます。そのためにいろいろ仕込みをしましたから」
メティトがうなずいた。
「ほかに私たちがお手伝いできることはありませんか」
ルークは穏やかに首を振った。
「いえ、エルフの飲み薬を用意してもらっただけで十分ありがたいです」
回復アイテムなし、という条件がついているため、懐に薬草類を忍ばせていくことはできない。おそらく身体検査で見つかってしまう。テルパドール側の提案で、身代金受け渡しの直前に大急ぎで庭園内にアイテムを隠しておいた。
「エルフの飲み薬は秘密の寝室の床下、北東の角の柱の根本に埋めてあります」
メティトがそう言うと、ルークはちらとヘンリーの方を見た。ヘンリーはどこか別の方へ視線を向けていた。
「わかりました。いざとなったら、それを手に入れて反撃します」
とルークは言った。
「では、お二方ともこちらへ」
兵士の長が先に立った。
「ルキウス殿は一度ご覧になっているはずですが改めてご説明します」
兵士長が手で示したのは、なかなか幅の広い階段だった。
「この下は広大な、この城と同じくらいの面積のある庭園となっています。というよりは、砂漠の中に奇跡のように存在するオアシスに蓋をするようにテルパドールは築かれております」
以前天空の兜のためにこの城を訪れたときルークはその話を聞いていた。テルパドールの太祖は不毛の砂漠の一か所を指さして泉を湧きださせ、みずみずしい緑の楽園をあらしめた。代々の君主はその楽園を守るために石垣を巡らせ、それを土台として現テルパドール王宮がそびえ立っている、と。
 それを聞いたとき、ふとルークはグランバニアの城を思い出した。あの城は、城の直下に町を抱え込んだ造りになっている。もしかしたらその技術は、テルパドールから学んだのではないだろうか。グランバニアが今の形になったのは父のパパスの英断だったと聞いた。ならば、テルパドールに友誼を求め、技術の伝承に努めたのはパパスだったはずだ。
――この世界にはいくつもの国があるのに、なぜテルパドールに?
もちろんテルパドールこそ古代の叡智を連綿と受け継ぐ国だから、ということなのだろうが、そこに何か個人的な理由があったのでは。あとでヘンリーに意見を聞いてみようと思い、そこでルークはためらった。先日言い争いをして以来気まずい感じはぬぐいきれず、事務的なやりとりのほかは話をしていなかった。
「この階段は泉の中央にある小島へつながっています。そこから飛び石を使って岸へ上がってください。周辺はすべて植物が生い茂っています。花の咲いている方へ行けば施設があります。アイシスさまがお茶会をなさるテーブル、専用の寝室、小間使いの控室、庭師の管理小屋などです。万一庭園内ではぐれたら、壁に沿って南東の角を目指してください。そこに非常出口があります」
 ルークはちらっと斜め後ろにいるヘンリーの方を見た。脇に肩当ての箱を抱えたまま、視線を合わせることなくうなずいた。
「だいたいわかりますから大丈夫です。では、行ってきます」
見送りの兵士たちが一斉に威儀を正した。
「お気をつけて」

 頑丈な石垣の上の方に巨大なガラスの板をはめた明り取り窓が連なっている。そこから差し込む豊かな陽光が広大な庭園を照らしていた。
 石垣は城一つに匹敵する面積を囲んでいた。中央にあるのは清水の湧き上がる池だった。岸辺には南国の水辺に咲く鮮やかな植物が広がっていた。葉も茎も透き通るような萌黄、黄緑、若草色で、果実は目の覚めるような朱色、花にいたっては千紫万紅の彩りだった。
 庭園内部の小道沿いにそびえる木々はシュロ、ナツメヤシ、オレンジ、ウチワヤシ等々、さながら熱帯雨林を形よく切り取ってそこへ置いたかのようだった。どこかで南国の鳥の鳴き声がした。
 池と林の間には、咲き乱れる花々を敷き詰めた、命あるじゅうたんが華麗な紋様を繰り広げていた。絵心のある庭師が花盛りを迎えたときに最も見栄えがするようにあらかじめ計算して植えておいたにちがいなかった。
 テルパドールは代々王家直属庭師を抱え、作庭、造園の術を磨かせてきた。庭園のところどころに配置された瀟洒な建物もその術の成果だった。どれも小づくりだが庭のしつらえとケンカしないように、建材や内装の配色や質感を選び抜き、中の家具調度も厳選したものを最低限の数で置いている。
 特に現在のテルパドールの女主人アイシスは、庭園内の秘密の寝室やプライベートな茶会に用いるあずまやを自分の美意識に添わせるまで何度も改装していた。
 そもそもこの庭に湧く清水そのものが歴代王家の力であるとテルパドールの国民は信じている。庭園の池からさらに地下へと水は導かれ、王都にはりめぐらされた地下水道へ流れ込む。市民は自宅の井戸からその豊かな水の恵みにあずかることができた。
 清水の湧出口は池の岸近くにある。その場所には特に女神像が置かれ、燈明が供えられ、大切に祀られていた。
池の中央の小島から城の一階へ通じる階段があった。その上の方から、二人の人物が降りてきた。
 一人はテルパドール風の長い白地のチュニックを身につけ、飾り帯をしめ、紫のターバンとマントを身につけた黒髪の男だった。もう一人は明らかに外国人で、かっちりした上着、フリンジのあるケープというかっこうの男だった。
 衣類は贅沢で物腰からして上流階級らしいのだが、まるで担い売りの商人のように大きな箱を肩にかついでいて、そしてどちらも武器を身につけていなかった。二人は階段を下りきって小島に降り立ち、緊張した表情で庭園を見まわした。
 時刻は昼下がりだった。朝から働くテルパドール人には、この時間は長めの昼休みをとって昼寝をする者が多い。位置的にはごく近くにある王宮前の広場の賑わいも聞こえなかった。いつも庭園で働く召使たちは下げられ、あたりに人の気配はなく、ひっそりと静まり返っていた。
 階段の上の方から見るのとは違い、大庭園の下から見上げると背の高いヤシの樹が明り取りを遮って、陰影の濃い、静かで涼しい空間を作り上げていた。
 庭園は意外に起伏があった。もともと水の湧き出したところが一番低く、周辺が高めになっている。ところどころに窪地があり、また小さめの丘があり、なかなか変化に富んでいる。庭師もそれを心得て作庭していた。
 鮮やかな色の花が動いた。葉擦れの音がした。階段を下りてきた二人、ルークとヘンリーは身構えた。
 やがて複数の人物が次々と飛び石を渡ってきた。先頭に立つ頭巾とマントの人物が、先日宮廷に現れた教団の使者、モンストロッシだとルークは確認した。寄り目を上目遣いにする表情に見覚えがあった。
 その背後に従うのは教団の弟子だけではなかった。傭兵らしく、素肌に革の鎧をつけ革の帽子を被り、鉄の剣を携えた男たちがいた。なかでもひときわ大柄な男がいて、態度から傭兵隊長だろうとルークは思った。
 教団側はルークたちの待つ小島へ到達し、両者は狭い足場で対峙した。
「要求通り、戴冠式の宝飾品を持ってきた」
とルークは言った。
 モンストロッシが頭巾を背後におろし、にやりと笑った。
「女王アイシスを返せ」
ヘンリーが要求した。
「身代金はそのあとだ」
モンストロッシが反論した。
「支払いが先だ。そうでないなら、アイシスは諦めろ」
事務的だが、それだけに妥協はしないことを見せつけていた。ヘンリーは肩をすくめ、抱えてきた箱をその場に置いた。ルークも自分の箱をその隣に並べた。
 教団の使者は大柄な傭兵を手招きした。
「テリャク」
そう言って、あごでルークたちのほうを指した。
「二人とも階段の方を向いて手を壁につけろ」
テリャクと呼ばれた隊長が命じると傭兵たちは二人の身体検査を始めた。
「君たちは教団の信者じゃないね?傭兵なのかい?」
ルークの問いを男たちは無視した。
「杖は持っていないな?」
「よく調べろ。袖の内側、襟の裏、ベルト、帯、ターバン」
テリャクが指示を出していた。荒っぽく上着を引っ張られてヘンリーが舌打ちした。
「俺のチェーンを探しているなら今日はないぞ。武器を持ってくるなといったのはそっちだろうが!」
しばらく服を探り回してようやくテリャクは納得したようだった。
 身体検査の間に教団の魔法使いたちが箱を開け、宝冠と肩当てを確認した。
「よし、これだ」
そう言ってうれしそうに抱え込んだ。
「用は済んだな。女王様は返せよ」
ヘンリーがそう言って手を壁から離したとき、傭兵たちが動いた。ルークたちと階段を遮断するような位置へ走り、それぞれが剣を抜いたのだった。
「勘違いするな。女王の身代金は宝飾品に加えてあんたらの命だ」
「話が違う」
毅然としてルークが言った。テリャクがせせら笑った。
「あんた、王様なんだって?世間知らずにもほどがあるぜ。そっちも元王子様だってな。武器なしで来いって言われて、どうしてホイホイ来るかね」
テリャクは振り向いた。
「雇い主の御意向を聞かないとな」
モンストロッシはルークを指した。
「こいつは当分こっちの人質にしておく必要がある。こいつの妻子を封じるためにな」
「こっちのはどうする?」
モンストロッシはにやにやした。
「その男に用があるのは大司教様だ。連れて行け」

 革の鎧に革の帽子と靴は使い込んで傷だらけになり、変色している。傭兵のコンスは身なりにかまわない男だった。対照的に相棒のハバンはいつも鎧を磨いてピカピカにしている。二人はともにテルパドール周辺の村の出身で、幼なじみで、そもそも従兄弟どうしで、金になるからと誘われて数年前一緒に傭兵になった。
 コンスたちは贅沢な身なりの外国人を、両手を後ろにまわしたかっこうで手首に鎖をかけ、歩かせていた。一行が歩いているのは両側にユスラヤシの列が並ぶなめらかな敷石の小道だった。
 王宮の地下庭園の噂はコンスも村で聞いていた。だが、これほどの量の植物が同じ庭に生えているとは今まで思ってもみなかった。ベールで顔を隠した女官が南東の非常口から傭兵隊と教団の魔法使いを地下庭園へ入れてくれたとき、コンスたちは思わず声を上げたほどだった。
 空気の味が違う。風の中に砂粒が混じらず、皮膚や唇がひりひりしない。湿気があるのだとわかった。広大な庭園は石垣に囲まれテルパドール城で蓋をされているのだが、空気孔があるのか、そよ風が吹きすぎていく。風に乗って花の香りが漂った。
 巨大な窓から太陽光が差し込み、ユスラヤシの葉の間からほのぐらい緑の空間へ光が筋状に差し込んだ。池の中の噴水が静かに噴き上げる水が、光を浴びて煌めいた。そこは砂漠の中の楽園だった。
 傭兵隊は捕虜を連れて、小道を進んでいた。両側は色鮮やかな花畑、その奥はヤシの樹が立ち並ぶ林だった。しばらく進むと地面のようすが変わった。
 そのあたりには植物が生えていない。磨いた石を地中に埋め込んで大きな菱形を描き、その中央に彫刻を施した太い柱が立っていた。
 柱の根元には雇い主が待ち構えていた。教団の者たちが大司教様と呼ぶ人物だった。いつも大司教の周りにいるフード付きマントで体を覆った教団の弟子たち三人はもう一人の男、グランバニア王を連行する方にまじっていってしまった。大司教は一人きりだった。
 大司教自身もマントで体を、フードで顔を覆っている。命令は三人の高弟が伝えるので、コンスたち下っ端傭兵は顔を拝んだこともなかった。
「こいつでよろしいんで?」
捕虜を指してテリャクが尋ねた。大司教のフードがかすかに動いた。うなずいたらしかった。
「ばっさり殺りますか」
事務的な口調でテリャクが聞いた。雇い主の意向を聞くと言うよりほとんど断定だった。聞き取れない声で大司教が何か言った。テリャクは、はあ?と聞き返したが、肩をすくめた。
「おい、あんた、運がいいんだか、悪いんだか」
そう言いながら、テリャクは捕虜の腕を縛っていた鎖を外した。
 コンスたち傭兵が雇い主からもらった情報はなかなか詳しかった。目の前にいる外国人はラインハットのヘンリー、ラインハット王国の王族で宰相。頭が切れて口が達者だが、もう一人の男、グランバニア王ルキウスほど危険ではない。十代のころは剣を使っていたがもう昔のこと。護身用にチェーンを持ち歩き、それが少々やっかいだが、今日は持ち合わせていないことを身体検査で確認していた。
 ヘンリーはじっと大司教を眺めていた。
「あんた、誰だ」
テリャクは乱暴にヘンリーの肩をつかんだ。
「気を散らさない方がいいんじゃないか、え?」
そのままテリャクの視線はさまよい、コンスに目をつけた。
「おい、新入り!おまえ、この旦那にちょっと稽古をつけてやれ」
先輩たちがざわめき、それから笑い声が漏れた。
 “稽古をつける”というのは、半ば訓練、半ば新人いじめだった。コンスとハバンの二人が一番後に入隊したので、つい最近までこの二人がこの“稽古”をやられていた。
 傭兵たちはにやにやしながらヘンリーとコンスを取り囲んだ。その輪の後ろに大司教がいてこちらを眺めていた。
「よーし、たっぷりかわいがってやれ」
「クライアントからの御注文だ、念入りにな!」
コンスはなんだかいい気持になってきた。反撃される心配のないところで好きなだけ虐めていいというのは最高の気分だった。
 ハバンも同じらしく、嬉しそうに声をかけた。
「身なりのいい旦那、あんた、昔は剣を使ったんだって?ほら!」
ハバンは手のひらほどの刃渡りのナイフを投げつけた。ヘンリーは驚いて避けた。傭兵たちはどっと声を上げて笑った。
「拾いな、旦那」
とテリャクが、ややあきれた顔で言った。
「うちの新人に勝ったら、少しは命が伸びるかもしれないぞ」
むっとした表情でヘンリーは土に刺さったナイフを取った。
「最近は練習不足なんだがな」
いっくぜぇ!とコンスは叫び長剣で斬りつけた。ナイフの小さな刃が、ひと呼吸おくれて上がってきた。
 ヘンリーの顔が青ざめていた。白兵戦など長いこと戦っていなかったに違いない。剣のリーチがちがうのを別にしても、コンスの斬りこみを手元で捌くのがせいいっぱいのようすだった。体勢が及び腰で焦りの色が見えていた。
「こいつ、シロウト同然だ!」
コンスはあざけりの声をあげた。ハバンは気楽そうに腕組みして眺めていた。
「あんたの友達は現役の旅人なんだってな。教団の坊さんたちは、武器なしでもえらく緊張してたぞ。あんたみたいな雑魚が相手でおれたち運がいいな」
コンスは遠慮なく笑い、斬りこんだ。
「まったくだ。そら、そら、どうした!」
それでもなんとか長剣の刃にナイフの刃をあわせてしのいでいるのだから、ド素人ではないらしい。だが、しのぎきれなくなるのも時間の問題だった。
「あんた、相棒にどえらい負い目があるんだって?」
「誰から聞いた!」
初めてヘンリーが苛立ちを顔に出した。
「さあねえ。あんたが何をやったかしらねえが、相棒は助けに来ねえかもな」
ヘンリーが唇を噛んだ。
「情けねえなあ!」
コンスは一気にナイフを叩き落し、ヘンリーの横顔すれすれのところを突いた。顔に筋状の切り傷ができた血がにじんだ。ぞっとしたらしくヘンリーの表情がゆがんだ。その顔を見ただけでコンスの気分は上向きに盛り上がった。
 ちっと舌打ちしてヘンリーがあらためてナイフを拾い、構えた。まわりの傭兵の間からくすくす笑いが起こった。
「見ろよ、みっともねえ」
助かる道を探しているのか、視線がきょろきょろと動く。恐怖か疲労か、息があがってしまっている。おかげでコンスには相手が攻撃しようとしているか否かが手に取るようにわかった。
 ナイフを向けてきてもコンスは長剣であっさりと払いのけた。逆に相手の呼吸をはかれば、ほとんど無防備なまでにこちらの攻撃が入った。先ほどかすられたほほをはじめ、ヘンリーは顔や腕が傷だらけになり、あちこちで血の色が見えていた。
「なんだ、なんだ、これじゃ稽古にならねえ」
コンスの先輩たちが嘲笑った。
「おい、殺すなよ」
テリャクが声をかけた。
「最後のとどめは大司教様が刺したいと仰せだ」
ちらっとヘンリーが大司教の方を見た。
 柱のところにいたはずの大司教が、前へ出て傭兵たちに交じってコンスの“稽古”を眺めていた。フードを深くおろしていて表情はわからなかったが、そのフードがかすかに上下した。笑っているらしかった。
「よそ見してるとあぶねえぞ?」
コンスが長剣の先で嬲るように斬り下ろした。ぎりぎりのところでヘンリーがナイフで受けた。
「危なかったなあ!」
げらげらと周りが笑った。
 他より一段低い声が言った。
「膝をつかせろ。命乞いを聞きたい」
それが初めて聞く大司教の声だとコンスは気付いた。
「服もむしり取れ。奴隷には不要のはずだ」
「だってよ!旦那、おとなしく」
コンスはナイフをもう一度叩き落してやるつもりだった。コンス自身も、絶望の表情を浮かべたヘンリーに這いつくばらせてみたくなっていた。
 コンスの剣は空を切った。ヘンリーが間合いを取ったのだった。
「その声、ボアレイズか!」
不思議そうに、どこか嬉しそうにヘンリーはつぶやいた。