ダイは走っていた。緑したたるようなデルムリン島の熱帯性雨林のなか、下草を踏み越え、倒木を飛び越え、懐かしい気配を求めて一直線に走っていた。
高い梢の間から空が見える。上空に金色の光が生まれ、デルムリン島の火山めがけて落下してきた。
――絶対取り戻すんだ、おれの友だち!
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ポップは片手を目の上にかかげ、ダイの後ろ姿を見送った。
「飛んでっちまったな、ダイのやつ」
くすっとマァムが笑った。
「だって、がんばったもの、ダイも、あたしたちも。はやる気持ちもわかるわ」
その場所はデルムリン島のブラス家の前だった。小春日和で、ブラスは前庭にテーブルを出して客たちに茶をふるまっていた。
「最初はどうなることかと思いましたわい。あのダイが食事もせずに、それを回し続けておりましたからな」
ブラスが指したのは、一見赤ん坊のおもちゃのような円筒だった。持ち手がついていて、それを握ってふると円筒部分が回転するようにできていた。
「これ、本当は凄いものなんですって?」
とレオナが言った。
「うちの師匠の話だと、“祈り車”ってんだそうだ」
とポップは言った。
「この筒の中に古い経文が書いてあるんだって。一度回転させると、六道のどこかでひとつ輪廻がすすむとか」
「ロクドウ?リンネ?」
「姫さん、つっこみはナシでよろしく。マトリフ師匠にさえ詳細はわからねえという、ギュータの秘儀だってさ」
ヒュンケルは首を傾げた。
「そんなものを、ダイはどうやって作ったのだ」
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明け方の夢の中で、ダイはその声を聞いた。ずっと前に、父のバランの幻が同じ声に向かって『母よ』と呼びかけていたことをダイは覚えていた。
――あの子を見つけましたよ。
「あの子って?」
――金の翼を持った、あなたの友だちです。
ゴメちゃんのことだ、とダイは直感した。
「よかった。会いたかったんだ!どうすれば会えますか?」
夢の中の声はしばらく沈黙していた。
――すぐには、会えません。あなたの友達になったのも偶然でした。あの子は輪廻をくり返して、いくつもの世界を巡り巡っている。人々の願いを叶えながら。
そういうものなのだ、あれは。ゴメちゃんこと、神の涙は。
「それは知ってる。けど、どうしてももう一回会いたいんだ」
――あの子があなたを覚えていなくても?
「……それでもいいよ!」
――それなら祈りを重ねなさい。
「どんなお祈りをすればいい?」
――祈り車のつくり方を教えましょう。祈りの言葉の書かれた祈り車を回すのです。一度の回転がひとつの輪廻。それをくり返すことであの子と会える時が早くなります。
「わかった、おれ、やるよ!」
――簡単にできることではありませんよ?あの子が帰って来るに必要な輪廻は、実に三千万回なのですから。
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ブラスは太めの指を折って数えた。
「ダイは一日半ほど寝食を忘れて祈り車を回し続けておりましたが、本人の話では千回ちょっとしか回せなかったそうな。そこで皆さんに頼みにいくことにしたようです」
「でも、三千万回っていうのを聞いて驚いたわ」
マァムの言葉に使徒たちは一斉にうなずいた。
「で、困った時の、先生頼み、と」
全員の視線がブラス家の前に安置してある巨大な太鼓のようなものに集まった。
「アバン先生、これ造る時すっごく生き生きしてたわね」
「ギュータの里の古代資料を、アバン先生読んだことあるんだって」
ポップは肩をすくめた。
「先生と師匠の興奮ぶりだと、最初の小さな祈り車には失われた知識が詰まっていたみてぇ。さすが聖母竜、竜の騎士たちの元締めだ」
ヒュンケルはまだどこか怪訝そうにしていた。
「その知識は、いい。本物なのだろう。だが、あの大きな方の祈り車を一度回すと百の輪廻が進む、というのはどういうからくりだ」
ポップは片手を振った。
「だからつっこみ禁止な。先生曰く『大型祈り車は一回転で百輪廻なので、二百五十回まわすと二万五千の輪廻となります。大型は四台造りますから、四倍して十万輪廻。これを一日でこなすと、三百日で三千万輪廻を達成できます』」
しみじみレオナがつぶやいた。
「簡単に言ってくれるわね、と思ったんだけど、達成できたのね」
「レオナがパプニカにもあの祈り車を置いてくれたおかげね」
とマァムが言った。
「お礼が遅くなったわ。ありがとう」
「やぁね、水くさい。大型祈り車はここにあるのが一台、うちで一台、あとはカールとテランだっけ?あのね、どこの国でもゴメちゃんが世界中の人の心をつないでくれたことを、みんな覚えていたのよ。少なくともパプニカじゃ、一日に二百五十回まわすなんて楽勝だったもの」
ブラスのいれたお茶からやさしい香りがたちのぼっている。昼下がりのデルムリン島はほのぼのとした空気が流れていた。
「おかげでけっこう早く達成できましたな」
「私、一年はかかるかと思ってたわ」
「おれも。でも、さっきダイがいきなりゴメの気配がするって言いだしたから、たぶん三千万輪廻達成だ。ダイのやつ、神の涙をうまくキャッチできたかな?」
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ダイは足を早めた。
「ゴメちゃん、あれ、絶対ゴメちゃんだ!」
キラキラする滴の落下地点めがけてダイは駆けよった。とちゅうでトベルーラを発動して空中にとどまり、腕を長く伸ばし待ち構えた。
左右合わせたダイの手のひらを目指しているかのように金のしずくは落ちてきて、すんなり着地した。ダイの手の上でふわりと広がった。
息を呑んでダイは変形を見守った。
まだ不定形のそれは、良く知った形へとまとまってきた。両脇に翼、あるべき場所に大きな目。
お帰り、と言おうとして、ダイはためらった。その代わりに、ささやいた。
「おれと、友だちになってよ」
ぱっちりとまぶたが開いた。その瞳に、今にも泣きそうな自分の笑顔が映っていた。