王の祝福

   小さなビアンカはうとうとしていた。
 ビアンカの父、ダンカンが経営している宿の敷地内には、きれいに整えた庭がある。特別な機会にはそのガーデンに長いテーブルを出して、花を眺めながら食事を楽しむことができた。
 ぽかぽかした春の日だった。大人たちはガーデンでの食事を終え、お茶を飲んでいるところだった。ビアンカは先日やっと五歳になったばかりで、そのお誕生日につくってもらった一番いい服を着て、お腹いっぱいで、椅子のせもたれにほっぺをくっつけている。まぶたが重くてしかたがなかった。
「それじゃあ、だいぶ長い旅になるねえ」
「そうだな、一年がかり、いや、もう少しかかるかもしれん」
パパス小父さんの声だ、とビアンカは思った。パパスは父の知り合いで、よく遊んでくれる小父さんだった。今日も会食の前にビアンカを高く抱き上げてくるくる回ってくれた。ビアンカは嬉しくて、きゃっきゃっと笑った。
「まさか、坊やも連れていく気なのかい?」
ははは、と男らしい低い声で客は笑った。
「サンチョに預けていこうと思っていたのだが、私が出ようとすると火がついたように泣いてな。こちらが降参した」
「まだ三つ四つだもの。仕方がないかしらねえ。でも子連れ旅なんて、パパスさん、苦労するよ?」
「承知の上さ」
 ドアが開く音がした。フロント係が来たようだった。
「女将さん、すいません。ちょっとフロントまでお願いします」
 母が行ってしまい、父は客にお茶をすすめていた。
 ガーデンの白いおしゃれな椅子の上には、長柄のきれいなパラソルが影を落としている。ビアンカは、かわいいげっぷをして、むにゃむにゃと眠りこんだ。
 どのくらい時間がたったのかわからない。ビアンカの夢の中に、ぎしっという音が入ってきた。
 ビアンカは眠い目を薄く開けた。父も母もメイドたちもいない。だが、誰かがガーデンと村の道を仕切る柵を乗り越えたらしい。ビアンカはにぎりこぶしで目をこすり、椅子の背にしがみついて身を起こした。
 ちょうど柵を乗り越えた人物が、急ぎ足で奥へ向かうのが見えた。
――パパス小父さん?
 今のパパスは、ようすが変だった。一度宿へ向かったが、ふいに振り向き、すぐガーデンの一番奥にある池のほとりの樹をパパスは目指した。一番下の枝に飛びついてするする登っていき、すぐに姿が見えなくなった。
 ビアンカは椅子の上にワンピースのふわふわしたすそを広げ、金髪のお下げを左右に垂らし、ちんまりと座り込んだ。
 突然、フロントにつながる扉が開いて誰か出てきた。眠気の残る目でぼんやりとビアンカは眺めた。
「お嬢ちゃん、ここに誰か来なかったかい?」
そう尋ねたのは、このアルカパのあたりではあまり見かけない人だった。髪も髭も黒く、身に着けているのはぶ厚いコートと長靴だった。アルカパよりずっと寒い土地から来たように見えた。
「この庭へ入ったのを見たんだ。私より少し背の高い大人で、大きな剣を背中に背負った戦士なのだが」
 まちがいなくパパスのことだ、とビアンカは思った。そしてビアンカは、父母からも村の神父様からも、素直で正直なことは良い事だ、と教えられていた。
「いいえ、みてません」
どうしてそう言ってしまったのか、ビアンカにもよくわからない。だがさきほどのパパスのようすからして、見つかりたくないのだと思った。
「頼むよ、かわいいお嬢ちゃん」
寒い国から来た男は、いくぶん焦れた口調になった。
「その人は、私たちにとって大切なおひとなんだ。国ではみんな帰りを待っている。探し回ってようやく見つけた、チャンスなんだよ!」
ビアンカは、五歳の女の子にできるせいいっぱいの気合をこめた。
「わたし、しらないです!」
さらにツインテールが顔にぶつかる勢いで、ブンブンと頭を振った。
 がくんと男はうなだれた。
「庭からすぐに宿へ入ったのかもしれないな」
そうつぶやくと、またせかせかと宿の中へ入る扉を開き、行ってしまった。
 それを見ていたのか、パパスが木から降りてきた。パパスはためいきをつき、宿に向かって片手拝みのかっこうになった。
「許せ、まだ私には探しものがあるのだ」
そしてビアンカの方を見た。
「助けてくれたのだな、ビアンカちゃん、ありがとう」
に、と笑顔になった。いつもと同じその笑顔が、ビアンカにはまぶしかった。
「あの人はパパス小父さんを連れて行ったりしない?」
「大丈夫」
そういうと、パパスは芝生に膝をつき、ビアンカと視線の高さを合わせた。何か言いかけて、息を整えた。再び口を開いたとき、パパスの口から出たのは、荘重な古代語だった。
「アルカパの、ダンカンの娘ビアンカに、マスタードラゴンの御加護あるべし」
ビアンカは椅子の上で姿勢を正して座り直した。その言葉の中に、何かがあった。五年、いや、三年後だったら、ビアンカにはそれが魔法力の波長だとわかっただろう。
「幼き乙女よ、強きをくじき、弱きを助ける義侠心のままに、優しく、賢く、美しく育ちませ」

 建国記念セレモニーのために王者のマントを装備したルークは、小声で声をかけた。
「ビアンカ?どうしたの?」
壇上でルークの隣に立つことになっているビアンカはプリンセスローブを身に着け、いつも片方に流している金髪を分けて編み上げ、頭部に巻いて金冠でおさえていた。
 王妃にふさわしい豪華な姿にもかかわらず、ビアンカはなぜか城の大柱の陰に隠れていた。
「あ~、あの人は……?」
いつもより歯切れが悪い。ルークは王の間を眺めた。そこにはセレモニーに招かれた人々が集まっていた。
「昔からグランバニアに仕えていた人たちだと思うよ。サンチョなら名前も全部わかる。聞いてこようか?」
ビアンカはあわてたようすで首を振った。
「い、いいの!でも、どうしよう」
ほほを赤くしている妻の顔をルークはのぞきこんだ。
「あの一番前にいるお年寄り、あの人知ってる。ずっと前、あの人アルカパの宿にパパスさんを探しに来たの」
「え、ほんと?」
こくん、とビアンカはうなずいた。
「でもパパスさんたら、隠れちゃった。あたしはそれを知ってたんだけど、あの人に聞かれたとき、そんな人見てない、知らないって言っちゃった」
 あ~、とルークはつぶやいた。
「ビアンカは昔から父さんのこと好きだったもんね」
「そうよ?すてきな小父様でしたもの」
 う、う、うとルークはつぶやいた。ぐうの音も出なかった。
 しかたないわ、とビアンカはつぶやいた。
「あの時のことをとがめられたら、ごめんなさいって謝るわ」
潔くビアンカはそう言った。
「あの~」
ビアンカが振り向いた。
「……ぼくは?」
姉さん女房の唇がふっとほころび、ルークの大好きな笑顔になった。
「今はあなたが一番好きよ。きっとそうなるって、あの時パパスさんも言ったのだもの」

 あたたかな春の日だった。萌え始めた若葉を、そよ風がゆすっていた。ガーデンの奥の池はキラキラと光を弾き、その上を水鳥がすべっていた。
 パパスと小さなビアンカ以外に人の姿はなく、春の花に囲まれた庭はひとつの別天地だった。
「心優しく、賢く、美しく育ちませ。伴侶に愛され、友に慕われ、子々孫々まで家門に栄えのあるように」
「はんりょ、ってなに?」
にこ、とパパスは笑った。
「ビアンカちゃんのことを世界で一番好きになってくれる人。そして、ビアンカちゃんが世界で一番好きになる人さ」

 ビアンカは手袋でおおった両手を重ねて胸を抑え、うつむいたままかすかに微笑んだ。
「私は小さかったけど、ずっと覚えていたわ。寂しい時も辛い時も、あの言葉はずっと私の支えだった」
「それ、王の祝福だよ」
ルークには思い当たることがあった。
「王にのみ許される祈り、というか、魔法力を込めた預言だ」
ビアンカがこちらを見た。ルークはうやうやしく片手を差し出した。
「さあ行こう」
祝福された乙女は幸せそうに微笑み、自分の手を預けた。

了(2025年4月23日X上のイベント「ビアンカの日」のために)