ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第一話 魔界震撼

 その剣が鬼眼王の巨体を両断した瞬間、魔界は震撼した。暗雲たれこめる空からは雷鳴がとどろき、鋭くとがった岩の峰々は震え、黒い海は激しく波立って白い波頭が砕け散った。
 成層圏の決闘は終わった。かつて魔界の神と名乗って君臨した男は信じられないような表情のまま石と化し、壮大な星の海へ流されつつあった。
「逝ったか……」
 やはり石の体に閉じ込められた別の魂が、そうつぶやいた。その体は柱に囲まれた台座に載り、台座は魔界の高峰に安置されていた。衝撃はまだ、びりびりと石像をゆさぶっていた。
「ご主人様!」
 ようやく衝撃がおさまったころ、わずかに残った家臣たちが駆けつけてきた。
「ご無事で?!」
「心配無用。が、下はどうだ?」
 家臣とはいえ、小者、下人がほとんどだが、それなりに気配りのきく者たちだった。
「よくありません。“海”がいちだんと上がってまいりました」
 口と舌が動くなら、勢いよく舌打ちしたいところだった。
「忌々しい!この身さえ動けば」
 封印を受けてから何度も繰り返した嘆きを口に仕掛けて、止めた。
「ご主人様、もう、魔界は太陽を得られないのでしょうか」
「太陽さえあれば、“海”はこれ以上広がらないのでは」
「あのお方が地上を吹き飛ばしてくだされば」
 ため息がもれるのは、止められなかった。
「あきらめるがいい。あれは、逝った。あの竜の騎士の息子に討ち取られた」
 ああああ、と嘆きの声があがった。
「太陽はないのに“海”の水面は上がってくる、これでは魔界は亡びるしかありません!」
「私らは、いったいどうすれば」
「逃げ場はないのですか」
「しずまれ!」
 重苦しい沈黙が漂った。
「ここは“海”辺からはまだ距離がある。山の上だからな。 “海面”がここまで上がってくる前になんとか手立てを講じる。それしかない」
「と、おっしゃいますと」
 応えようとしたとき、五感のすみに何かがひっかかった。
「待て、あれはなんだ……」
 彼は地上に持っている“眼”をあわてて動員した。
 地上にはめぼしいものはなかった。
「空かっ!」
 あまりにも遠いことがなんとももどかしい。“眼”はすぐさま早朝の空のようすを伝えてきた。
「二つ、違う、三つのエネルギー……飛翔している上へ、上へ……いや、ひとつが離れた……残ったあれは、ピロロか……いや、人形のほうか。もうひとつは……うっ」
「ご主人様!」
 文字通り血眼で追っていたエネルギーが空中で爆発四散した。
「黒の核晶がはじけたのだ……」
 離れているとはいえ、感覚器にとってはきつい衝撃だった。
「あれでは何一つ」
残るまい、と言いかけて彼は沈黙した。
「何か落ちてくるぞ……ドラゴン?まさか」
 まさか、と言いながら、それは確信に変わった。特徴のある、峻厳かつ清らかな波動があった。
「聖母竜!なぜそんなところに」
「ご主人様?」
 彼は小者たちに向かって早口に指示を下した。
「地上へ行け!聖母竜が落ちていく。あれをとらえよ。急げ!」
 聖母竜とは、ドラゴンの騎士の魂と紋章を預かって次代の騎士に渡す役目を持った、特殊なドラゴンだった。
「いやしくもドラゴンであるなら、見まちがうはずがない。聖母竜の形をしていないかもしれないが、絶対に地上にいる。探せ!」
 配下の小者たちがざわめいた。
「し、しかし、大魔王亡き今、魔界と地上の出入り口はふさがれたのでは」
「……いや、あれの魔力は膨大だった。残りの魔力がまだ出入り口を支えている。閉じ切る前に、早く!」
 あわてて配下のモンスターがいっせいに地上へ飛び出した。
「聖母竜……ドラゴンの騎士の息子か」
 それはほとんど確信だった。バランがいない以上、聖母竜が宿るのは彼の息子以外にあるはずがない。
「とらえておいて、こちらでおさえておけば」
 身体は石になったが、頭はむしろガンガン回っていた。
「地上の者があの子供を惜しむなら、魔界までも迎えに来るかもしれん。ならばあの子についていれば、地上へ連れ帰ってもらえる。魔界から逃れることも夢ではないぞ」
 とっくに石になった心臓が、ずきずきと脈打っているような錯覚があった。
「さあ、来い、竜の騎士の子よ。我が知略の手駒としてくれよう!」
 最後の知恵ある竜は、心の声で咆哮を放った。

 白い砂を波が洗う。天気が良く、光る水面はまぶしいほどだった。男の子が一人、小さなざるを片手に砂浜を歩いていた。潮のひく時間にこうして浜辺を歩くと、海藻や小さなカニ、貝などが手に入る。子供は、アルゴ岬近郊の漁村の子だった。見つけた物を家に持って帰ると値打ち物は市場へ出され、売れないようなものは今夜の食事の材料になる。
「おだちんもいいけど、スープもいいな」
 浅い砂地のうえに太陽光と海水が網の目のような模様を投げかけている。浮き浮きと子供は浜辺を歩いていた。
「そろそろ帰るよー」
 一番上の姉が弟妹を呼び集めていた。
「わかったー」
という声が浜辺のあちこちから聞えてきた。その子は姉のほうへ行こうとして、動きを止めた。
「なんだろ?」
 白砂の中に何か埋まっている。近づいて見ると、透明な石のようだった。波に揺られてこの浜へたどりつき、一部が砂から頭を出して、その部分が反射したらしい。子供は小さな手で石をつまみあげた。
 細長いしずくの形をした、透き通った石だった。片方の端は丸く、もう片方はややとがっている。細いほうの端に金色の留め金が取り付けられ、短いひもがまだ留め金にからまっていた。年上の女たちが身につけるペンダント、というものだろうと子供は幼心に判断した。
「お姉ちゃんにあげようかな。母ちゃんかな」
 つまんだまま目の前に掲げると、それはキラキラ光って見えた。
「もしかして、宝石?だといいな」
 おねえちゃあん、と呼びながら、男の子は浜辺を走り始めた。その手の中に、世にも貴重なマジックアイテム、輝聖石を握りしめて。
 現存するアバンのしるしの最後の一つが地上へ戻ってきたのだった。

アルゴ岬を照らしていたのと同じ太陽がカール王国の王城を照らしていた。カールの主城は最近になってやっと建て直された。魔王ハドラーに一度、超竜軍団長に一度攻撃されて、カールは今も復興途上にある。だが大魔王の脅威が退いた結果、国土はどこも明るく希望に満ちていた。
 城の中も例外ではなかった。豪華というより機能的でコンパクトな城だが女王フローラの宮廷より奥まった場所に、フローラの夫、王配殿下アバンの研究室があった。
――先生らしいお部屋ね。
 心の中でネイル村のマァムはそうつぶやいた。部屋の半分は天井までの本棚で埋まっている。残りの空間の中心はさまざまな研究道具や工具、試薬、標本等を乗せた作業台だった。フローラが夫のために、アバンの生家のそれに似た研究室を城内に造らせたらしかった。
 黒ぶち眼鏡をすかしてアバンは、目の前の作業台をじっと眺めていた。作業台の上のガラスの平皿には、透明な石が載っている。アルゴ岬の漁村から届けられた、涙滴型のクリスタルだった。
「輝聖石は、大量生産できるものではない。そして製法を知っているのは、今は私だけです」
 独り言のようにアバンは言った。
「これまでに輝聖石はいくつ造られたか、そしてそれぞれの石がどこにあるか、私はほとんど把握しています」
 アバンがこちらへ視線を動かし、微笑んだ。
「さあ、みなさんの石を見せてください。まず、あなたから」
 アバンの目は、研究室にいる数名のうちのひとりの若者に向けられていた。彼は無言で襟元をさぐり、ひもを引き出した。その先には同じ涙滴型のクリスタルがあった。
「オレの持つ、『アバンのしるし』です」
 ヒュンケルは現在26歳。光と闇の双方の剣技を身につけた不世出の剣士だったが、先の大魔王戦で重傷を負った。
 初めて見たときのヒュンケルを、今でもマァムは覚えている。彼は研ぎ澄まされた刃そのもの、人の形をした憎悪。固く冷たい鎧は、滾るような殺意でもあった。
 その鎧が外れた時、その内側のあまりの純粋さにマァムは息を呑むような驚きを味わった。暗闇の中でひとり泣く幼な子の魂を彼は保持していた。
「そのしるしに、念を」
 アバンの指示にヒュンケルはうなずいて、大きな手にしるしをのせた。クリスタルの透き通った塊の中にちかっと光が走った。次の瞬間、光は放射状にあふれだし、広がり、美しい紫の光芒を放った。
 ヒュンケルの魂の色は紫、その力は「闘志」。
「今でもあなたは戦士なのですね、ヒュンケル」
 自分の一番弟子に、アバンは穏やかな笑みを向けた。
「……魂だけは」
 静かにヒュンケルはそう答えた。
 では、マァムの師、ブロキーナが言ったことは本当だったのか。おそらくヒュンケルは二度と戦えない。大魔王戦の後、ラーハルトと共に旅をしながら体力の回復に努めているとマァムは聞いていた。戦えないという宣告は、ヒュンケルにとってどれほど残酷なことか。マァムは身震いがした。
「次は」
 アバンの視線は、その場にいた身分の高い女性の上に止まった。
「レオナ姫、失礼、女王レオナ、あなたがお持ちのしるしを見せてください」
 パプニカの女王レオナは19歳になった。今日のレオナはカールの国賓というよりも私的な訪問だったらしく、女王の礼装ではなく膝下丈のシンプルな旅行着、パプニカの王冠ではなく金のヘッドバンドという姿だった。が、賢者アポロとマリンを従え、うら若いながら威風堂々としていた。
 初めて会ったとき、レオナは氷漬けだった、とマァムは思い出した。マァムの魔弾銃が壊れてしまったのは、ほかならぬレオナを救うためだったのだ。そして初めて会話をしたとき、レオナは酔っぱらいだった。自分のことを姫ではなくレオナと呼べ、と彼女は主張した。そうしてくれないなら、マァムにさん付けするから、と。
 レオナは静かに視線を動かした。マリンは赤い小さめのクッションを捧げた。その上には、ヒュンケルの持っているのと同じ“アバンのしるし”が載っていた。
「光らせてみてください」
 レオナは無言で白い手袋を取り、クッションの上に手を伸ばした。紅絹のうえの輝聖石に光が宿る。峻厳潔癖な白い光がたちのぼった。
 レオナの魂の色は白、その力は「正義」。
 ヒュンケルに裁きを言い渡した時のレオナを、マァムは忘れられない。罪は罪と指摘しながら、ヒュンケルが前を向いて歩いて行けるようにと、考えつくされた判決だった。
「すばらしい。やはりあなたは生まれついての女王です」
 アバンの賛辞に、レオナは少し目を伏せた。
「ありがとうございます、先生」
 よく通る声だった。
「でも、その石はもともとフローラ様のもの。お返しした方がよいのでは?」
 アバンの傍らにいた美女が口元をほころばせた。
 カールの女王フローラは、五年前ついにアバンと結ばれ、ますます美しくなった。君主としても妻としても充実していることが、容姿にも言動にも豊かさを与えているのだろうとマァムは思った。
「いえ、それはとうに、レオナさまのものです」
 ね、とフローラは夫に同意を求め、アバンは妻に微笑み返した。
「もちろんですよ。さあ次はマァム、あなたです」
 マァムは、黙っていた。その場の全員の視線が集まった。
「あ、すいません。私、ぼうっとして」
 急ぐせいか、なかなか襟元のひもがつかめない。
「落ち着け、マァム」
 冷静なヒュンケルのささやきが、かえって焦りを生んだ。冷や汗をかきながらマァムは自分の輝聖石を取り出した。
「これです、先生」
「おやおや」
 アバンは穏やかに微笑んだ。マァムのつまんだアバンのしるしはもうチカチカと明滅し、すぐに暖かそうな赤い光に包まれた。
「あなたは変わりませんねえ」
 マァムは身を縮めた。
「ごめんなさい、私、今朝ネイル村から出て来たばかりで、その」
 もう二十一になるのに。しっかりしなきゃ、私、田舎者だわ、としみじみマァムは思っていた。お城とか宮廷とかいう場面では、レオナみたいにきりっと決まらない。
 いえいえ、とアバンは眼鏡のうちで優しく微笑んだ。
「あなたを見ているとロカを思い出します。彼も器の大きな、人にやさしい男だった」
 ロカはマァムの父にして、アバンの戦友だった。マァムは少し肩の力を抜いた。
 私の魂の色は赤、その力は「慈愛」。この力は父さんにもらったのかもしれない、とマァムは思った。
「さて」
とアバンが言いかけた時だった。
 王城に似つかわしくない騒音が響いた。どこかの礼儀知らずが、すごい勢いで階段を駆け上がってきたらしい。
「せーんせーっ」
 ドタドタいう音に悲鳴にも似た叫び声がまじった。
「あいつ、見つかったんですかっ!!!」
 同時に研究室の扉が乱暴に開け放たれた。
「うわっ」
 乱入者は敷物のはしにつまずき、見事にひっくり返った。
「わっ、うわっ、とっとっとぉ!」
 乱入者が床に転がると敷物もめくれてはりつき、最終的にそれは壁にぶつかって止まった。ほぼ簀巻き状態のそれの前に、アバンはしゃがみこんだ。
「あわてすぎですよ、ポップ?」
 簀巻きから、情無さそうな声がもれた。
「すんません、先生、でも、本当にあの」
 あとは息切れで言葉が出ないようだった。
「見つかったのはダイくんではなく、輝聖石、つまりアバンのしるしです」
「でもそれっ、まじでアイツのっ」
 バタバタと簀巻きがもがいた。
「落ち着きなさい。私たちはそれを知るためにここに集まったのです。あれが輝聖石だということは、私が確認しました。そして、今までに制作した輝聖石の所在を確かめました」
「そっ、それで?」
「いいかげん、出てきてください、ポップ。そして、あなたの持つしるしを見せてください」
 芋虫のように転がりながら、ポップはようやく敷物簀巻きから出てきた。まだはぁはぁと息を切らしながら、服の内側から輝聖石をもどかしげに取り出した。
 ポップは今年で二十歳になる。ダイが消えてからの五年間、文字通り世界中を飛び回ってダイを探し続けていたのを、マァムは知っている。口の達者なお調子者というイメージはあまり変わっていない。が、今のポップは身長が伸び、体もやや厚みを増し、何よりも大魔導士マトリフの指導のもと、膨大な魔力をたくわえるようになった。
「けっこうです」
 ポップの持つ石を眺め、アバンは微笑んだ。
「さあ、これですべての輝聖石を確認しました。所在不明はただひとつ、ダイ君に渡したアバンのしるしです。今回見つかったこの石は、間違いなくダイ君の持っていたものです」
 ポップの魂の色は緑、その力は「勇気」。
 ダイの名を聞いた瞬間、ポップは目を見開き、そのしるしは澄んだ緑の光を放ってキラキラと輝いた。