ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第三話 マァムとレオナ

 話を終えて戻ろうとポップがアバンの研究室の扉を開けた時、誰かがあっと言った。
「ポップ、先生のところに来てたのね」
「なんだよ、おめえもか」
 そこに立っていたのはマァムだった。
「ええ、ちょっとね」
 先生、マァムが、と言うポップに、はいはい、とアバンは応じた。
「お入りなさい、マァム」
 じゃ、おれはこれで、とポップは帰っていった。
 しばらくの間マァムはもじもじしていた。マァムは二十歳すぎだった。言動や性格はロカによく似ているとアバンは思う。だが、横顔がふっくらと円熟味を増し、母となったレイラを思わせた。
「あの、ポップは何を?」
「魔界突入前に何を準備したらいいかについて、打ち合わせをしていました」
 マァムは、きゅ、とこぶしを握った。
「私もです。先生、私も考えていたことがあって」
 アバンは仕草で椅子をすすめた。ポップが座っていた椅子に、マァムは足をそろえて腰かけた。
「あのう、先生は魔界に来て下さるのですか?」
 アバンは首を振った。
「今の私はカール王国に責任を負う立場です。何が起こるかわからない魔界へは、行くことはできません」
 マァムは片手で胸を抑えた。
「そうですよね。わかっていました」
 彼女は顔を上げた。
「ポップ、私、たぶんヒュンケルが中心になると思います。あと、ダイに会いたがっていたから、レオナも」
「レオナ女王は、ダイ君を探しに行く旅に同行できないそうです」
「そんな、だって、レオナが誰より」
 義憤のような言葉は、細くなって消えた。
「理由は私と同じです。パプニカを、レオナは放ってはおけないのですよ」
 若き女王レオナは、ぴんと張りつめた糸のようだった。持ち前の正義感の上に一国を背負う責任を乗せている。無理もないことだが、痛ましくもあった。
 マァムは意を決したようだった。
「そうなると、パーティの編成に難が出てきます」
 アバンはうなずいた。
「大魔王戦では、勇者ダイ、戦士ヒュンケル、武闘家マァム、そして魔法使いポップがほぼ固定メンバーでしたね」
 ただし最後の大魔王との直接対峙では、それに限らずフルメンバーで対応した。
「あのときの編成は前衛に三人、後衛に一人でした。今回、ポップが後衛を固めるのは同じでも、前衛が不足しています。もし、ヒュンケルが戦えないとしたら」
「ええ、前衛は、マァム、あなただけになります」
 マァムは両手の指を握り締めた。
「私にできるでしょうか、先生。私、どうすればいいの」
「落ち着いて。クロコダイン、ラーハルト、ヒム、それからチウも、助けを求められる人はたくさんいるでしょう」
「でも、行く先は魔界です。いっしょに来て戦って、なんてそんなずうずうしいこと言えません」
 思わずアバンは咳払いをした。
「彼ら魔族や獣人にとって、魔界は故郷なのですがね」
 あら、とマァムはつぶやいた。
「忘れていたようですね?」
 赤くなってこくんとマァムはうなずいた。
「マァム、あまり背負い込むものではありません。仲間はそのためにいるのですから」
 でも、とマァムは言った。
「それでも私、魔界へ入る前に強くなりたいです。仲間と一緒に行くなら、仲間を守るためにも」
「ブロキーナ老師はなんとおっしゃっているのですか?」
 マァムは目を伏せた。
「最近老師は、弟子たちにあまり稽古をつけておられないのです」
 大魔王戦、その前のハドラー戦の双方に参戦した老師は、たしかにたいへんな高齢だった。
「それに私、もう一度僧侶として勉強し直しているものですから」
 おや、とアバンはつぶやいた。マァムは肩をすくめた。
「ネイル村に、祖父の作った教会があるんです。それを守れたらいいなと思って。村の人たちや母も喜んでくれるし」
「そうですか。そうなったら、すばらしいですね」
 自然の恵みと美しい風景にあふれ、よそ者にも情け深い人々の村。そこに住む親友、その新妻、二人の間の赤子。かぎりなくやさしい情景をアバンは想った。
「レイラはあなたの魔界行きを止めることはないですか?」
 マァムは笑った。
「母には、十五で村を飛び出した時に許しをもらいました。それに私、ダイを迎えに行かなかったら一生後悔すると思います」
「わかりました。もう、止めません。マァム、あなたの悩みの事ですが、強くなるヒントは、あなた自身が経験してきたことの中にあると思いますよ」
「経験ですか?」
「ネイル村を飛び出したあなたは稀有な体験をしてきたじゃないですか。ロモスからバーンパレスにいたるまでの戦いを思い返してごらんなさい」
「私、無我夢中で」
「みんなそうでしたよ。マァム、ですがあなたはその道のりで、当時最強の武闘家三人の戦いを見ていたはずです。一人は老師。次はハドラー。最後にバーン」
 マァムは目を見開いていた。
「ええ、ハドラーもバーンも体術に呪文を組み合わせて使用するスタイルの武闘家なのです」
「でも私、攻撃呪文は使えないのです」
「そうでしたね。でも老師はあなたにマホイミを使うことを教えてくれた。呪文は攻撃呪文だけではない」
 マァムは顔を上げた。
「何かわかってきました。私、考えてみます」
 いい顔だ、とアバンは思った。
「それならひとつアドバイスがあるのですが、聞いてくれますか」
「ええ、何でしょうか?」
 何から話せばいいか、とアバンは迷った。まっすぐに見上げる瞳の、ある意味不器用で傷つきやすく、それゆえに人の心を惹きつけるこの少女に、その父の話をどう始めればいいか。
「カール騎士団の正統の剣を知っていますか?」
「いえ」
「魔界へ出発する前に、カール騎士団の修練場へ行くべきです。騎士団正統の剣において、その初撃は他流にはあまり見られない独特のスタイルを持っています。『豪破一刀』と呼ばれるそれを、一度見学してください」
「豪破一刀」
とマァムは低くくりかえした。
「母に聞いたことがあります。それは、父さんの!」
「はい。ロカの必殺技だったのです。きっとあなたの心に響くものがあるはずですよ」
 マァムは乙女らしいほほを紅潮させた。

 ノックの音を聞いて、アバンは立ち上がり、部屋の扉を大きく開いた。
「先生がお呼びだと聞きました」
ヒュンケルだった。
 それまで座っていたいすからマァムが立ち上がった。
「私はこれで失礼します」
「では明日、カール騎士団本部で会いましょう」
 マァムは一礼し、ヒュンケルに笑いかけて部屋を出て行った。
 アバンはヒュンケルを迎え入れた。
「夜分呼び立てたことは先に謝っておきますよ、ヒュンケル。温かいお茶はいかがです?」
「まだ眠ってはいませんでしたから、問題ありません。お茶はいただきます」
 弟、妹弟子たちが座ったいすに、ヒュンケルも腰かけた。
「体調は悪くないようですね」
 茶をいれながら、アバンはそれとなくヒュンケルを観察していた。
「いろいろと誤解です、先生」
 静かな口調だった。
「マァムも誤解しているようですが、オレの体に不調はありません。ただ、酷使し続けた身体を休めるために、一定の期間、戦闘を控えているだけです」
 香り高い茶をなみなみとそそいだティーカップを手渡して、アバンはつぶやいた。
「自分の意志で戦闘をせずにいられるというのは、良い傾向です」
「ラーハルトに約束させられました。いつか二人で、真剣で戦う、そのために今は体調を整える、と」
 おやおや、とアバンは言った。先の大魔王戦で、ヒュンケルは半人半魔のラーハルトと友情の絆を結んでいた。軽口などたたかないヒュンケルが、真顔で「お互いの死に目をみとった仲です」と言ったときには、いったい何事かとアバンは思ったものだった。
「今でも闘気はあるようですね?」
「そんなふうに見えますか?」
「見えますとも。焦りやおごりのない、凪のように静かな心を保っている。闘気を放つには最高の状態です。ヒュンケル」
 ヒュンケルが顔を上げた。
「私の代わりに、魔界へ行ってくれませんか」
 ぴく、とヒュンケルの眉が動いた。
「まずは、私の疑念を話しておきましょう」
 アバンは自分もカップをとって、椅子に深く座った。
「ダイ君の輝聖石のことです。私は、あれを疑っています」
 まさか、とヒュンケルがつぶやいた。
「偽物ですか?!」
 アバンは首を振った。
「いえ、あれは本物です。ですが、あの輝聖石はなぜ五年もたった今、現れたのか。不自然です。そこに何かあるような気がしてなりません」
「何かというと?」
「あの時から今まで、ダイ君が落下したと考えられる場所は探しつくされたのです。それがなぜ、今になって重要なアイテムが見つかるのでしょう?ヒュンケル、誰かの手が加わった、とは考えられませんか」
「誰です?」
 アバンは首を振った。
「わかりません。しかし、落下地点近くで輝聖石を見つけ、確保し、タイミングを見計らって私たちの手に渡るように投下した者がいると考えた方が、筋が通ります」
 ヒュンケルはすっと目を細めた。
「誰かが我々を魔界へ呼び寄せている、と?」
 アバンはうなずいた。
「そうです。そして魔界で待っているのは魔王クラスの大物でしょう」
「それならポップやマァムにもそう言って、魔界突入は延期せねば」
 アバンは首を振った。
「今のポップたちは、止めても止まりません。疑念だけでは足止めできない。ポップなどむしろ隙を見て身ひとつで旅の扉に飛び込むくらいのことはやらかすでしょうね」
 ヒュンケルはかるくため息をついた。
「おっしゃる通りです」
「それなら、きちんと準備をして装備を整えて魔界へ立ち入るほうがよっぽどましです。実は、ロン・ベルク殿に先ほど使いを送りました。大魔王戦の時に損傷した武器防具の修理依頼です。もちろん、通常の旅と同じように食料や水はたっぷりと用意します」
 アバンは一度言葉を切って、慎重に付け加えた。
「そして、ヒュンケル、彼らに同行してやってほしいのです。あなたが彼らを導いてください」
 しばらく沈黙してからヒュンケルは口を開いた。
「二度と戦えない、そう言われたオレが、ポップたちを抑えられるでしょうか?」
 ふふふ、とアバンは笑った。
「あなたらしい答えですねえ。いいんですよ。ポップが言ったそうじゃないですか。つっ立っててくれるだけでいい、と」
 ヒュンケルは首を振った。
「あれは、あいつなりの気遣いとか、そういうものです」
「それでいいんです。突っ走り気味のポップが気を遣う存在が兄弟子のあなたです。体調の事ですが、あなたは今機能回復につとめているのでしょう?リハビリなら地上でも魔界でもできますよ」
「先生」
 そんなむちゃくちゃな、と言いたいらしく、ヒュンケルは呆れたような顔をした。
「そんな表情だと、子供のころのあなたを思い出しますねえ……ああ、わかりましたよ。からかうのはやめましょう。また嫌われてしまう」
 アバンは咳払いをした。
「ヒュンケル、あなたは再び武器を取ることをためらっているのではないですか?」
 水鏡のようなヒュンケルの闘気が、ざわりと波立った。
「なぜ」
「なあに、勘ですよ。魔界へ行ってごらんなさい。ためらいを克服するきっかけが、必ずあると思いますよ」
 返事をしようとして、ヒュンケルはためらい、口ごもった。
「では、こうしましょう。旅立ちまでにまだ数日あります。その間に私と少し、修行をしてみませんか。ちょうど明日、カール騎士団の修練場へ出向く用があるのです」
 はじめてヒュンケルが口元をほころばせた。
「十年ぶり以上だ。先生、よろこんで」
と答えた。

 マァムはカール城内にある自分の部屋へ向かっていた。すっかり日が暮れてあたりは静かだった。
「近道できるかな」
 マァムは奥庭をつっきることにした。
 城の奥庭も整えられてからまだ日がたっていないので、草木もそれほど育っていない。その間を通り抜けようとして、ふとマァムは足を止めた。
 女の泣く声が聞こえた。
「ダイ君……!」
 奥庭の隅にあるベンチに、レオナが座り込んでいた。両手で顔をおおい、すすり泣いているようだった。
「レオナ」
 おずおずと声をかけると、レオナは手をおろした。
「マァム」
「ごめんね、あの、声が聞えちゃって、あの」
 レオナは泣いて赤くなった目のままで、なんとか口角をあげてみせた。
「失敗。誰にも聞こえないところを選んだつもりだったのに」
 寂しそうな、つらそうな顔だった。マァムは意を決した。
「隣、ごめんね?」
 そう言ってベンチに座ると、レオナの上体を抱きしめた。
「一人で泣くなんてだめよ。どうしたの?」
 レオナはすなおに頭をあずけてきた。しばらくためらったあと、つぶやいた。
「ダイ君は、帰ってこないかもしれない」
「どうして!」
「昼間ポップ君が言ってたでしょ?ダイ君、自力で動けない状態か、記憶を失ったのか、って。あたし、そのどっちでもないと思うの。ダイ君は自分の意志で地上へ戻らないのだと思う」
「そんなバカなことあるものですか!」
 レオナは首を振った。
「あたし、聞いたの、天魔の塔で。大魔王バーンに答えてダイ君は言ったわ。『おれはおまえを倒して、地上を去る』って」

 老いたる大魔王は光魔の杖を床へ突き立てた。
「念のため、聞いておこう」
 地の底から響いてくるような声だった。
――何を考えているのかしら。
 レオナはいぶかった。ダイも同じ思いらしく、警戒もあらわに身構えている。ダイの手にはついさきほど覚醒した二つめのドラゴンの紋章があった。ダイに先行したあまたの竜の騎士たちの戦闘ノウハウの集積、「闘いの遺伝子」。その威力はものすごく、一度は敗北した相手、老魔王バーンと、ダイは互角以上に戦っていた。
――今さらバーンは何を言うつもり?
 杖を床に立てたまま、老魔王は何も装備していないしるしに両手を広げた。
「余の部下にならんか?」
 なっ、と言いかけてダイは二の句をつげないようすだった。レオナは思わず老魔王の顔をまじまじとながめた。
「そ、そんなっ、そんな事っ」
 みなまで言わせずに老魔王は割って入った。
「おまえの父はこの問いにYESと答えた」
 ダイがぎくりとした。
「純粋な竜の騎士であるがゆえに、バランは人間がいかに醜く愚かな生物であるかも良く判っていた。人間は最低だぞ、ダイ」
 人差し指でダイを指し、まるでプロの教師のような口ぶりで悠々と老魔王は説いた。
「おまえほどの男が力を貸してやる価値などない連中だ」
――くやしいけど、こいつ、説得力があるわ。
 レオナ自身が君主としての教育を受けている。バーンが発揮しているのは、実力のある者を家臣として得たいときに使う説得術だった。そこに含まれるのは、世辞が一割、そして事実が九割。
「そんなやつらのために戦って、それで勝っても、どうなる?賭けてもいい、余に勝って帰っても、おまえは必ず迫害される」
 ダイは、かすかに口を開いたまま沈黙していた。
「そういう連中だ、人間とは。奴らが泣いてすがるのは自分が苦しい時だけだ。平和に慣れればすぐさま不平不満を言い始めよる」
 ダイは老魔王を見上げていた。ダイの中にバーンの言葉が事実として沁み込んでいくのが目に見えるようだった。
「そしておまえは英雄の座をすぐに追われる。勝った直後は少々感謝しても、誰も純粋な人間でない者に頂点に立って欲しいとは思わない!それが人間どもよ」
「ちっ、違うわ‼」
 たまらずにレオナは叫んだ。ダイの心がバーンの見せた“事実”に浸る前に、なんとか取り戻したかった。
「絶対に私たちはそんな事しないっ」
「それは、姫よ、そなたがダイに個人的好意を抱いているからにすぎん」
 あっさり胸中をあばかれて、さすがにレオナは口ごもった。
「それではバランの時と変らん。たった一人の感情では“国”などという得体の知れないものはどうしようもない事は、公事にたずさわるそなたならようわかろう?」
 口をぱくぱくさせてみたが、レオナには反論のすべがなかった。ダイの弱点「バラン」と、自分の弱点「国」を左右において、バーンの説得には死角がなかった。
「だが余は違う。余はいかなる種族であろうとも強い奴に差別はせん。反旗をひるがえした今でもバランやハドラーに対する敬意は変わらんよ……」
 老魔王は、口元にかすかな笑みさえ浮かべていた。
「さあ!どうする、ダイ!無益とわかっている勝利のために命を賭けるか?おまえの価値を判っている者のために働くか?いくらおまえが子供でも、この二択は迷うまい」
 レオナはダイとバーンを見比べた。余裕たっぷりに老魔王はダイに斬り込んだ。
「どうする?!……ダイ……!!」
「答えは……」
 ついにダイが口を開いた。
「“NO”だ」
 安堵のあまりレオナの力が抜けた。逆にバーンは剣呑なようすで目を細め、小さなダイを見下ろした。
「やはり子供よな。甘い英雄の幻想とやらにしがみついていたいのか」
「違う」
とダイは言い切った。目を閉じて、自分に言い聞かせるようにダイは言った。
「人間がたまにそういうひどいことをするのなんて百も承知だ。おまえの言う事もうそじゃないと思う」
 レオナの胸が痛むほど、ダイの口調は苦かった。バランとの最初の出会いを、ベンガーナの襲撃含めてレオナはずっと目撃している。
「でも、いいんだ!それでもおれはみんなが、人間たちが好きだ。おれを育ててくれたこの地上のすべての生き物が好きだっ」
 ダイの目は、天魔の塔の床面を通して、地上に注がれていた。
「ダイ君……」
「もし本当におまえの言う通りなら、地上の人々すべてがそれを望むのなら、おれはっ」
 まだ十二歳。デルムリン島で出会った幼い少年。
「おれはっ……おまえを倒して……この地上を去る!」
 驚くほど大人びた表情で、しかし昔と同じ澄んだ瞳で、ダイはそう告げた。